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2006/07/18
カテゴリ: ありがとう能楽殿 : 

執筆者: uroakman (10:40 pm)
夏至の日の前にことしの秋分の日は、
熱田神宮で奉納コンサートを開催するぞと宣言していたら、
ほんとうにやることになってしまった。
使用料金もかかるし、能や狂言にも疎い私が
まさか能楽殿で奉納コンサートを主催することになろうとは・・・。

無謀といおうか、なんといおうか。
しかも能楽殿の存続を訴えるコンサートをやろうというのだ。
私の知り合い関係が、
ここ最近、会う人会う人、
能楽殿がなくなるのはさびしいと訴える。

かといって世間的に反対運動があるわけでもない。
能や狂言の関係者に電話でお聞きしたところ、
すでに10月になくなることを織り込み済みで、
お別れ会を企画しているとのこと。
いったいどういうことなんだ!


武芸は自らの心境を高めるための武家のたしなみであると思うし、
武将は、死地に出向く際、能を舞い、辞世の句を読むことを常とした。
信長しかり。

つまり、能や狂言のプロが演ずるのと異なり、
あくまでも武家のたしなみとして芸は存在したのである。

また続日本紀にこんな記述がある。
時の天皇が熱田神宮に行幸されたとき、
100歳を超える年齢の尾張の浜主が舞楽を舞ってお迎えしたという。

舞い始めるや、
少年のように軽やかに舞い踊り、
歳を感じさせないその優雅さに天皇は驚いた。

ふだんは漁師の仕事をしながらも、
祭りなどの奉納儀式にはプロ顔負けの技能を発揮する。
こういう話が1500年近くも前から伝わる熱田。
尾張浜主の碑は、高座結御子神社に残っている。

この熱田には今でも芸能協会とか芸能組合という名が残っている。
本業は主婦でありながら、民謡や三味線の先生をしている人。
本業は郵便局長でありながら、歌手デビューをしている人。(この方は昨年なくなられた)
本業はスナック経営者でありながら、落語家・・・などなど。

芸を生業にすると、お客に迎合しかねない。
だから本業を持ちながら、芸の道を追求する。
芸事、つまりお稽古事に励む。
そういう人が名古屋に多い。

したがって江戸、上方からみると、
名古屋の人は芸を見る目が厳しいなどという風評が出回る。

これが「芸どころ名古屋」といわれる所以(ゆえん)である。
いまはそうでもなくなったが、かつてはそう呼ばれていた。




その伝統がいまや、消えつつある。
芸能は、元来、神がかりであった。
薪能の伝統も自然の中で神と対峙して舞うことだった。

神と人間が一体になって舞う。
まさに神業(かみわざ)こそ、めざすべき芸能の真髄だ。
プロを超えたアマの技。

熱田神宮の能楽殿は、
このような背景なくして語ることは出来ない。




神と人がひとつになる。




私たちは、本来の精神文化の原点に立ち戻るために、
熱田神宮能楽殿の存続を訴えて、
来る9月23日、芸能奉納祭を開催しようと思っています。

この運動を随時、ホームページにも掲載していきます。
メールによる署名活動も行いたいと思います。
同志のかた、ご支援よろしくお願いします。


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