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2006/07/25
カテゴリ: ありがとう能楽殿 : 

執筆者: uroakman (9:20 pm)
1900年近くの歴史を持ち、
名古屋人の心のオアシスとなっている熱田神宮。
その境内に能楽殿という施設が建てられていますが、
一般にあまり知られていません。
戦後、民間から寄贈された能楽施設として古典芸能の関係者には親しまれてきましたが、
残念ながら2006年10月8日で施設を閉じることになりました。

古来、能楽芸能は、武家のたしなみとして
この地のお稽古事文化の礎となって、
「芸どころ名古屋」の言葉を生み出す素地をつくってきました。
尾張浜主が113歳の高齢をもって見事な舞を見せたと伝える
続日本紀の逸話からはじまって、
信長が桶狭間の戦いに出る前に能を舞い、心を静めたという話・・・、
このように舞楽、能楽に親しむ伝統は古くから伝わっています。

その古典芸能のシンボルである能楽殿がもうすぐなくなります。

ありがとう、能楽殿・・・その幕を閉じるに当たって、
私たちは何かをすべきではないかと思いました。
確かに建物自体はなくなってしまいます。
しかし、魂をゆさぶる素晴らしい感動は一度、心に刻んだらいつまでもなくならない・・・
かたちじゃないこころだ・・・という思いが日増しに強くなってきました。
あるとき、一人が言いました。

「愛をほんとうに信じてみようよ」、

そのひとことで動き出しました。
「施設にいる子供たちを能楽殿にお招きしてコンサートを開こう、その趣旨を演者にお話してボランティアで出演していただこう、ひとり一万円で施設使用料を払って自分の出来ることをやってみよう」だれかに頼るのでもなく、一人一人が主催者として参加する、無垢の取り組みがこうしてはじまりました。

「ラジオのDJやっている人が司会をやってもいいって」
「プロのオペラ歌手が出演してくれるって」・・・。
思いがつながり始めました。協力者が現れました。
一人一人、どんなことができるかわからない。でも信じることから始めたら、きっと素晴らしいコンサートになる。
子供たちの心に本物を・・・。もう不安や心配はやめて。自分を信じるために。
10月8日に能楽殿はその使命を終えるかもしれません。
しかし、私たちの心にきっと何かを残すことになるでしょう。

それは新しいあなたのものがたりになるかも・・・。
2006/07/24
カテゴリ: ありがとう能楽殿 : 

執筆者: uroakman (10:10 pm)
流れが変わりました。
先回のブログでは能楽殿存続キャンペーンを張るような姿勢がありましたが、
そういう戦いモードはやめにしようと思いました。
ベイルート侵攻のような戦いモードは、もううんざり。
愛の思い、まじりっけのない純粋な気持ちで淡々とやりたい。
そう思いました。

人を変えることはできないが、
人に何かを与えることは出来る。
それならば、未来の大人たちであるこどもに本物の音楽や芸能を体験させられたら・・・。
しかも身体が不自由なこどもたち、虐待にあってきたこどもたちに何かを与えられたら・・・。
私にとってはまさに天の声のようなアドバイスだった。

愛の思いで・・・
その結果、能楽殿が存続していくようなことになれば一番いい。
しかしそうなっても、そうならなくてもいい。
それはあくまでも結果であるから。

反対運動を起こすことでもない。
マスコミにアピールすることでもない。
協賛スポンサーを募ることでもない。

そういう思いが募っていったとき、
ひとり、またひとりと、支援者が現れ始めたのです。

昨日、エバさん、アリエルちゃん、ホリバちゃん、カツくん、
仲間とそのこどもたちといっしょに能楽殿の下見に行ったとき、
熱田神宮の職員の方が聞きました。

「9月23日に何をされるのですか?」

私は素直に言いました。
「施設にいるこどもたちに、素晴らしい音楽や芸能に触れさせてあげたい」

そのとき、職員の方は目を細めていました。
2006/07/18
カテゴリ: ありがとう能楽殿 : 

執筆者: uroakman (10:40 pm)
夏至の日の前にことしの秋分の日は、
熱田神宮で奉納コンサートを開催するぞと宣言していたら、
ほんとうにやることになってしまった。
使用料金もかかるし、能や狂言にも疎い私が
まさか能楽殿で奉納コンサートを主催することになろうとは・・・。

無謀といおうか、なんといおうか。
しかも能楽殿の存続を訴えるコンサートをやろうというのだ。
私の知り合い関係が、
ここ最近、会う人会う人、
能楽殿がなくなるのはさびしいと訴える。

かといって世間的に反対運動があるわけでもない。
能や狂言の関係者に電話でお聞きしたところ、
すでに10月になくなることを織り込み済みで、
お別れ会を企画しているとのこと。
いったいどういうことなんだ!


武芸は自らの心境を高めるための武家のたしなみであると思うし、
武将は、死地に出向く際、能を舞い、辞世の句を読むことを常とした。
信長しかり。

つまり、能や狂言のプロが演ずるのと異なり、
あくまでも武家のたしなみとして芸は存在したのである。

また続日本紀にこんな記述がある。
時の天皇が熱田神宮に行幸されたとき、
100歳を超える年齢の尾張の浜主が舞楽を舞ってお迎えしたという。

舞い始めるや、
少年のように軽やかに舞い踊り、
歳を感じさせないその優雅さに天皇は驚いた。

ふだんは漁師の仕事をしながらも、
祭りなどの奉納儀式にはプロ顔負けの技能を発揮する。
こういう話が1500年近くも前から伝わる熱田。
尾張浜主の碑は、高座結御子神社に残っている。

この熱田には今でも芸能協会とか芸能組合という名が残っている。
本業は主婦でありながら、民謡や三味線の先生をしている人。
本業は郵便局長でありながら、歌手デビューをしている人。(この方は昨年なくなられた)
本業はスナック経営者でありながら、落語家・・・などなど。

芸を生業にすると、お客に迎合しかねない。
だから本業を持ちながら、芸の道を追求する。
芸事、つまりお稽古事に励む。
そういう人が名古屋に多い。

したがって江戸、上方からみると、
名古屋の人は芸を見る目が厳しいなどという風評が出回る。

これが「芸どころ名古屋」といわれる所以(ゆえん)である。
いまはそうでもなくなったが、かつてはそう呼ばれていた。




その伝統がいまや、消えつつある。
芸能は、元来、神がかりであった。
薪能の伝統も自然の中で神と対峙して舞うことだった。

神と人間が一体になって舞う。
まさに神業(かみわざ)こそ、めざすべき芸能の真髄だ。
プロを超えたアマの技。

熱田神宮の能楽殿は、
このような背景なくして語ることは出来ない。




神と人がひとつになる。




私たちは、本来の精神文化の原点に立ち戻るために、
熱田神宮能楽殿の存続を訴えて、
来る9月23日、芸能奉納祭を開催しようと思っています。

この運動を随時、ホームページにも掲載していきます。
メールによる署名活動も行いたいと思います。
同志のかた、ご支援よろしくお願いします。


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